(2)物語の語りの3つの側面
「物語」という言葉の文脈から重要と思える次の3つの側面について考えます。
①物語は、「時間」によって配置される
②物語は、「他者」に向かって語られる
③物語は、「編集」される
上記の三つを踏まえ、次のようなことが起こったと仮定します。
「お姫様は朝寝坊しました」
「お姫様は朝食として林檎を食べました」
「お姫様は走って森にいきました」
「お姫様は、森の中で男の子とぶつかりました」
「お姫様はお城で男の子が隣の国の王子様として紹介されました」
「10年後、お姫様と王子様は結婚しました」
上記はそれぞれに、個別の出来事として生じているのですが、個別の出来事として理解されているわけではないのです。
ぞれぞれの出来事は、「時系列」につなぎ合わされ、因果関係を含みながら、感情を付け足し「青春時代における妻との運命的な出会い」といった結婚のエピソード、つまり「物語」として、「他者」に語られるようになるようです。
この物語を通して、多くの人は上記のようなバラバラの出来事を、ひとつの連続性の体験として理解・把握することができるようになります。
しかし、この腑に落ちやすい、祝われるべきエピソード物語も、すべて語り手によって「編集」されているのです。
「朝寝坊してしまう」は、その周辺におそらく散らばっているだろうと思える出来事、例えば「夜更かししてしまった」「持ち物の用意をしていなかった」「遅くまで読書をしていた」といった出来事と組み合わせ、「お姫様の優雅な生活」といった物語で理解することもできるし、「寝坊した上に、森の中で迷ってしまって人とぶつかってしまうなんて、不運なお姫様だ」と、お姫様の不運を嘆くストーリーにもなってしまうのです。
このように、物語/ナラティブは、視点や構成を変えることで全く違うものになる可能性が高いのです。
ポイントは、「ありのままの物語」など存在しないという事です。
事実を事実として、「ありのままの、単一の物語」を紡ぐことができないのです。
それは、人は「意味」を介して出来事を理解するという人間の脳の限界と可能性のなせる事柄だと表現できるのかもしれません。
常に他者に向かって発している物語は、たとえ同じ出来事について語っていたとしても、語り手の編集の仕方でいかようにでも変化するのです。